国産初の水銀体温計を製造
柏木 幸助
かしわぎ こうすけ
明治・大正時代の発明家・事業家
1856(安政3)年〜1923(大正12)年
1856(安政3)年、三田尻村(現 防府市)で薬種商を営む家に生まれました。地元で化学を学び、1875(明治8)年、マッチの製造に成功し、2年後には従来品より安全な「安全マッチ」の製造に成功します。
1883(明治16)年、国産初の水銀体温計の製造に成功。体から離しても温度表示が下がらない「留点体温計」がドイツで発明されると、仕組みを研究し、1885(明治18)年、その製造に成功し、後に柏木体温計は国内市場を独占するようになりました。
1903(明治36)年には、しょう油の速成醸造法を研究中、消化酵素「ジアスターゼ」の一種を発見します。その後、柏木強力ジアスターゼ製造法の特許を海外でも取得し、1920(大正9)年、その製造販売権を三共株式会社に譲渡しました。生涯を通じて県外で学ぶことなく独学で発明を重ね、工場が2度も火災にあっても挑戦し続け、また、防長実業新聞の刊行や、防長薬剤師会会長への就任など、地元のために力を尽くし、満66歳で亡くなりました。
「山口県の先人学習コーナー」施設内の参考資料
- きらり山口人物伝 Vol.1 夢チャレンジ(夢チャレンジ出版事業刊行委員会 制作)山口県ひとづくり財団
関連施設
「山口県の先人たち」に掲載されている個々の文章、写真などは著作権の対象となっています。ご利用にあたっては、著作権法の範囲内でご使用ください。