日本初の民間セメント会社の創立者
笠井 順八
かさい じゅんぱち
明治時代の実業家
1835(天保6)年〜1919(大正8)年
1835(天保6)年、萩藩御舟手有田甚平の三男として萩で生まれ、萩藩士笠井英之進の家名を相続しました。藩に仕え、やがて財政方面の要職に抜擢。明治維新後は山口県の勧業局主任として殖産興業に力を注ぎます。
その後、生活に困窮していた士族の救済と、高価な輸入品だったセメントの国産化を目指し、1881(明治14)年、日本初の民間のセメント製造会社(後の小野田セメント。現 太平洋セメント株式会社)を創立。小野田を選んだのは、地元の石炭・粘土などの原料調達や製品の輸送に便利な地と考えたからでした。
社会資本の近代化につれて需要は増し、小野田セメントは国内外に名を広めます。また、順八は硫酸会社の誘致や道路の建設、鉄道会社の設立など、まちの発展に大きく貢献し、満84歳で亡くなりました。
「山口県の先人学習コーナー」施設内の参考資料
- きらり山口人物伝 Vol.2 夢チャレンジ(夢チャレンジ出版事業刊行委員会 制作)山口県ひとづくり財団
- 笠井順八翁小傳(笠井順八翁頌徳会 編)笠井順八翁頌徳会
- 槌音高く 笠井順八・久原房之助(読売新聞山口総局 著)萩ものがたり
- 明治日本のローカル・アントレプレナー 旧長州藩士が担った地方の産業化と近代企業の創成(畠中茂朗 著)九州大学出版会
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