周防大島のミカン栽培の先駆者

藤井 彦右衛門

ふじい ひこえもん

日前にある藤井彦右衛門翁頌徳碑
(周防大島町商工観光課 提供)

江戸・明治時代のミカン栽培家

1816(文化13)年〜1896(明治29)年

1816(文化13)年、大島郡伊保田(現 周防大島町)に生まれ、1838(天保9)年、日前村(現 周防大島町)の庄屋・藤井家の養子となりました。彦右衛門とミカンとの出会いは、一説には1846(弘化3)年、大坂の店先で見たことにあるとされます。産地の紀州(現 和歌山県)へ行き、見事なミカン畑が山に広がっていることに驚き、ミカンで大島の農民の暮らしを豊かにしようと決め、栽培方法などを教わって帰ったといいます。

そして1848(嘉永元)年に紀州あるいは泉南(現 大阪府南西部)から数百本の苗木を買って帰り、それが周防大島のミカン栽培の始まりとされます。このとき農家の人たちにも栽培を勧めましたが誰も応じず、彦右衛門の栽培も成功しませんでした。その悲願は1880(明治13)年、日前の河井藤吉・藤原重右衛門に受け継がれます。ミカン栽培はやがて全島へ広まり、彦右衛門は1896(明治29)年に亡くなりました。

その後、ミカンは周防大島の特産品となって人々の生活を支え、人々は彦右衛門に感謝し、1951(昭和26)年、その徳をたたえる碑を日前に建立しました。

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