菊舎旅姿 菊舎顕彰会 提供
江戸時代の俳人
1753(宝暦3)年〜1826(文政9)年
1753(宝暦3)年、長府藩士・田上由永の長女として田耕村(現 下関市)で生まれました。幼いころから俳諧に親しみ、やがて同じ村の村田利之助と結婚しますが、22歳で夫と死別。その後、長府の五精庵只山から「菊車」の俳号を授かり、長府へ移っていた田上家に復籍します。再婚の道は選ばず、行脚しながら俳諧を究めたいと考え、1781(天明元)年、萩の清光寺で得度して尼となり、俳諧の旅へ。当時、女性の一人旅はとても大変なことでした。美濃(現 岐阜県)の俳人・朝暮園傘狂を訪ねて門人となって「一字庵」の号を授かり、「おくのほそ道」を訪ねる旅へ。
1783(天明3)年「菊舎」に改号。その後も生涯の大半を旅に生き、宇治(現 京都府宇治市)の萬福寺では「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」の句を詠み、名を高めます。俳諧だけでなく、優れた和歌・漢詩・書画・七絃琴・茶道などを通じて公卿らとも交流。1811(文化8)年には京都の大徳寺で茶会を催し、翌年、奈良の法隆寺では特別に許されて中国伝来の開元琴を演奏。同年「月を笠に着て遊ばゞや旅のそら」の句を冒頭に掲げた俳諧紀行文『手折菊』を刊行します。晩年、ふるさと田耕へ旅し、盛んに俳諧を興行。1826(文政9)年、長府で死去。満72歳でした。
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