代表(だいひょう)作「帰郷(ききょう)」などで知られる抒情(じょじょう)詩人

中原 中也

なかはら ちゅうや

中原中也記念館 写真提供

明治(めいじ)・大正・昭和時代の詩人

1907(明治40)年〜1937(昭和12)年

 1907(明治40)年、山口町((げん) 山口市)の湯田温泉(ゆだおんせん)で生まれました。祖父(そふ)も父も医師(いし)。小学校時代(じだい)成績(せいせき)()く、周囲(しゅうい)から期待(きたい)されて育ちますが、中学校入学後、文学にのめり込み、落第(らくだい)京都(きょうと)の中学校へ転校(てんこう)すると、高橋(たかはし)新吉(しんきち)の『ダダイスト新吉の詩』に刺激(しげき)を受けてダダイズムの詩を作り始め、フランス象徴詩(しょうちょうし)も学びます。

 やがて東京へ(うつ)り、1933(昭和8)年にはフランスの詩人ランボーの翻訳(ほんやく)詩集『ランボオ詩集≪学校時代の詩≫』、翌年(よくねん)には自身(じしん)の詩集『山羊(やぎ)の歌』を刊行(かんこう)します。また、『ランボオ詩集』刊行の年に結婚(けっこん)し、翌年(よくねん)、長男が誕生(たんじょう)します。しかし、長男を1936(昭和11)年に病気(びょうき)(うしな)い、ショックで入院(にゅういん)退院(たんいん)後、鎌倉(かまくら)転居(てんきょ)帰郷(ききょう)決意(けつい)しますが、(やまい)にかかり、帰郷はかなわず、1937(昭和12)年に(まん)30(さい)()くなりました。

 死去(しきょ)の翌年、友人の文芸評論家・小林(こばやし)秀雄(ひでお)清書原稿(せいしょげんこう)(たく)していた詩集『()りし日の歌』が刊行されます。その後、哀愁(あいしゅう)()びた中也の詩は多くの人々の心に(とど)き、広く(あい)されるようになりました。

中原中也クイズ

問題1

抒情詩人(じょじょうしじん)()ばれた中原中也(なかはらちゅうや)が初めて刊行(かんこう)した自身(じしん)詩集(ししゅう)の名前は何ですか。
A
山羊(やぎ)の歌
B
()りし日の歌
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