松下村塾(しょうかそんじゅく)双璧(そうへき)松陰(しょういん)の妹・(ふみ)の最初の(おっと)

久坂 玄瑞

くさか げんずい

山口県立山口博物館 蔵

幕末(ばくまつ)志士(しし)

1840(天保(てんぽう)11)年〜1864(元治(げんじ)(がん))年

 1840(天保11)年、萩藩医(はぎはんい)・久坂家の次男として萩で生まれました。母、兄、父を相次(あいつ)いで()くした後、兄の友・月性(げっしょう)から(すす)められて吉田松陰に学ぶようになります。松陰からは「長州(ちょうしゅう)における年少の第一流の人物」と評価(ひょうか)され、また、勧められて松陰の妹・文と結婚(けっこん)します。
 松陰の死後は、その遺志(いし)()ぎ、尊王攘夷派(そんのうじょういは)の志士として奔走(ほんそう)し、1863(文久(ぶんきゅう)3)年5月には関門海峡(かんもんかいきょう)で攘夷(せん)を決行します。ところが、それまで尊王攘夷派のリーダーだった萩藩(長州藩)が突然(とつぜん)、京都から追放されます(8月18日の政変(せいへん))。萩藩では、京都での主導権(しゅどうけん)回復(かいふく)すべく、1864(元治元)年6月、家老(かろう)らが(ぐん)(ひき)いて京都へ進発し、朝廷(ちょうてい)嘆願(たんがん)します。しかし、嘆願は受け入れられず、7月18日、長州軍は京都へ向け進軍、19日会津勢(あいずぜい)らと戦い、敗退(はいたい)します(禁門(きんもん)の変)。その(さい)、玄瑞は進軍に反対し、最後まで公家(くげ)への嘆願に動きましたが(かな)わず、自刃(じじん)(まん)24(さい)でした。

久坂玄瑞クイズ

問題1

松下村塾の双璧といわれた久坂玄瑞が結婚した吉田松陰の妹の名は何といいますか。
A
千代
B
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