ruby>高杉(たかすぎ)晋作(しんさく)らを助けた下関(しものせき)豪商(ごうしょう)

入江 和作

いりえ わさく

下関市立東行記念館 蔵

幕末(ばくまつ)の商人

1833(天保(てんぽう)4)年〜1905(明治(めいじ)38)年

 1833(天保4)年、豊前(ぶぜん)企救(きく)郡((げん) 福岡(ふくおか)県北九州市)で生まれ、入江家の養子(ようし)となりました。入江家は下関の西ノ端(にしのはし)(現 下関市南部(なべ)町)で(さか)えた商人の奈良屋(ならや)一門で、和作は()醸造業(じょうぞうぎょう)「奈良屋」を(いとな)み、大年寄(おおどしより)もつとめた豪商(ごうしょう)でした。
 和作はさまざまな志士(しし)たちを(ささ)えたことで知られます。1863(文久3)年、高杉晋作が「奇兵隊(きへいたい)」の本陣(ほんじん)阿弥陀寺(あみだじ)(現 赤間神宮(あかまじんぐう))に(うつ)した(さい)、晋作が宿舎(しゅくしゃ)としたのは和作の屋敷(やしき)でした。1864(元治(げんじ)(がん))年、晋作が当時の藩政府(はんせいふ)実権(じっけん)(にぎ)る人々の打倒(だとう)を目指して決起した際には、和作はお金を提供(ていきょう)して支援(しえん)翌年(よくとし)、晋作が四国へ亡命(ぼうめい)した際には、和作が旅費(りょひ)を用意して支えます。
 また1865(慶応(けいおう)元)年、「薩長盟約(さっちょうめいやく)締結(ていけつ)に向けて動いていた坂本(さかもと)龍馬(りょうま)が下関に来た際には、和作は龍馬の訪問を受けています。そして1865(慶応2)年、晋作の恩人(おんじん)で福岡藩によって姫島(ひめしま)幽囚(ゆうしゅう)されていた野村(のむら)望東尼(ぼうとうに)が晋作から(たの)まれた人々によって救出(きゅうしゅつ)された際、和作は望東尼を下関でかくまいました。
 志士らを物心両面から支えた和作。1905(明治38)年に()くなりました。

入江和作クイズ

問題1

「奇兵隊」の本陣を阿弥陀寺に移した際、入江和作の屋敷を宿舎とした人物はだれですか。
A
高杉晋作
B
毛利敬親
完了するには、1質問があります。
戻る
網掛け部分は完了した項目です。
1
戻る

参考資料

関連施設

「山口県の先人たち」に掲載されている個々の文章、写真などは著作権の対象となっています。ご利用にあたっては、著作権法の範囲内でご使用ください。