秋吉台の聖者(せいじゃ)

本間 俊平

ほんま しゅんぺい

本間家 蔵

キリスト教伝道者(でんどうしゃ)、社会事業家

1873(明治(めいじ)6)年〜1948(昭和23)年

 1873(明治6)年、越後国(えちごのくに)(げん) 新潟県(にいがたけん))に生まれました。全国各地を仕事で歩き、凶作(きょうさく)で苦しむ人々を見て心を(いた)めました。24(さい)のとき、キリスト教の洗礼(せんれい)を受けます。
 その後、宮内省東宮御所(くないしょうとうぐうごしょ)(今の迎賓館(げいひんかん))を建設する役所に(つと)めていたとき、大理石の調査(ちょうさ)で秋吉へ。そこで出会った山の所有者から見込(みこ)まれ、宮内省を退職(たいしょく)し、1903(明治36)年に秋吉台で(はじ)めて本格的(ほんかくてき)に大理石を採掘(さいくつ)する「長門(ながと)大理石採掘所」を開設(かいせつ)困難(こんなん)に直面しながら秋吉台の大理石の需要(じゅよう)拡大(かくだい)し、外国に輸出(ゆしゅつ)できるまでにします。
 また、非行(ひこう)に走った少年や刑務所(けいむしょ)を出所した人たちを(やと)って(とも)(はたら)きながら更生(こうせい)へと(みちび)きます。やがて秋吉を拠点(きょてん)に全国各地で講演(こうえん)やキリスト教伝道を行い、「秋吉台の聖者」と()ばれるようになります。1931(昭和6)年、事業を息子に(たく)して秋吉を去り、講演などに一層(いっそう)力を入れるようになりました。
 山口県の大理石業界(ぎょうかい)発展(はってん)(いしずえ)(きず)き、多くの人々の心を(ささ)えた俊平。1948(昭和23)年、(まん)74(さい)()くなりました。

本間俊平クイズ

問題1

本間俊平が「秋吉台の聖者」と呼ばれた理由は、大理石業界を発展させたことともう一つは何ですか。
A
キリスト教伝道
B
秋吉台調査
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