吉田松陰(よしだしょういん)からも信頼(しんらい)された「海防僧(かいぼうそう)

月 性

げっしょう

財団法人 僧月性顕彰会 蔵

幕末(ばくまつ)の僧、教育者

1817(文化14)年〜1858(安政(あんせい)5)年

 1817(文化14)年、遠崎村(とおざきむら)(現 柳井(やない)市)の妙円寺(みょうえんじ)で生まれました。九州(きゅうしゅう)私塾(しじゅく)などで学び、その間に長崎(ながさき)へ行き、欧米(おうべい)脅威(きょうい)を実感します。その後、大坂で学び、帰郷(ききょう)すると妙円寺境内(けいだい)に私塾「清狂草堂(せいきょうそうどう)(時習館(じしゅうかん))」を開設(かいせつ)。その塾には遠方からも人々が集まり、後に彼らの多くは志士(しし)として活躍(かつやく)していきました。
 黒船の来航(らいこう)後、月性は外国の侵略(しんりゃく)(そな)えて「海防」に力を入れ、身分を問わず、(こころざし)のある者による兵制(へいせい)をつくるべきだ、と萩藩(はぎはん)提言(ていげん)します(その考えは後に高杉晋作(たかすぎしんさく)創設(そうせつ)した奇兵隊(きへいたい)となって実を(むす)びます)。月性は村田清風(むらたせいふう)や吉田松陰からも(あつ)く信頼され、海防について藩内各地で()き、「海防僧」と()ばれるようになります。また、月性は(すぐ)れた詩人でもあり、「男児立志出郷関(だんじこころざしをたててきょうかんをいず)」という言葉を(ふく)む詩は(とく)に有名となりました。
 月性は1858(安政5)年に(まん)40(さい)()くなりましたが、月性を(した)(つづ)けた弟子(でし)たちによって明治(めいじ)23(1890)年の33回忌(かいき)に、妙円寺境内に清狂草堂が再建(さいけん)されました。

月性クイズ

問題1

月性は、外国の侵略(しんりゃく)(そな)えて兵制(へいせい)をつくるべきだと()いたことから、別名、何と()ばれるようになりましたか。
A
海防僧(かいぼうそう)
B
国防僧(こくぼうそう)
完了するには、1質問があります。
戻る
網掛け部分は完了した項目です。
1
戻る

参考資料

  • 月性 人間到る処青山有り ミネルヴァ日本評伝選(海原徹 著)ミネルヴァ書房

関連施設

「山口県の先人たち」に掲載されている個々の文章、写真などは著作権の対象となっています。ご利用にあたっては、著作権法の範囲内でご使用ください。