松陰を慕い続け、松陰神社創設に尽力
野村 靖
のむら やすし
幕末の志士、明治時代の政治家
1842(天保13)年〜1909(明治42)年
1842(天保13)年、萩藩の中間・入江家に生まれました。通称・和作。兄は入江九一。1857(安政4)年ごろ、松下村塾に入塾。吉田松陰に強く影響を受け、松陰の投獄後もその指示を受けて奔走。自身も投獄されますが、それでも松陰を慕い、松陰からも厚く信頼され続けました。松陰の死後、志士として奔走し、1863(文久3)年には藩からその志を賞賛され、士分の待遇へ昇格。萩藩の内訌戦や幕長戦争では御楯隊を率いて戦い、その勝利に貢献しました。
明治維新後、岩倉使節団に随行して欧米へ。帰国後は萩藩出身の木戸孝允を支えて維新政府で活躍。
1887(明治20)年には子爵となります。その後は枢密顧問官やフランス公使、内務大臣、逓信大臣などを務めます。1907(明治40)年には松陰の実家・杉家の人々が松陰を祀っていた祠を公の神社にするため伊藤博文らと山口県へ請願して拝殿を建て、松陰神社を創建。1909(明治42)年、満66歳で亡くなりました。
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