阿月絣を発明
岩田 みつ
いわた みつ
江戸・明治時代の染織家
1808(文化5)年〜1899(明治32)年
1808(文化5)年、阿月村(現 柳井市)の農家の娘として生まれ、幼いころから白木綿や竪縞の木綿を織る仕事に追われます。やがて同じ村の木綿の行商人・岩田里平と結婚。あるとき、伊予絣に出合って驚き、自分も織ってみたいと思うようになります。絣とは、あらかじめ、まだらに染めた糸を用い、ところどころ、かすれたような文様を表した織物です。
みつは、絣の糸の染色方法を独自に研究し、従来のものより大柄な紺絣と海老茶色の絣で、後に「阿月絣」と呼ばれるものを生み出します。阿月絣は評判となり、その取引先は四国・九州・阪神へも広がり、みつに織り方を習いに来る人たちも増えていきます。夫や息子が糸挽車を軽くて速いものに改良したことも、阿月絣を広める後押しとなりました。
しかし、明治時代に入ると、近代紡績の出現や西洋藍の流行によって1894(明治27)年ごろには阿月絣は衰退。みつは1899(明治32)年に亡くなりました。
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