日本の工業の父

山尾 庸三

やまお ようぞう

萩博物館 蔵

明治(めいじ)時代の官僚(かんりょう)

1837(天保(てんぽう)8)年−1917(大正6)年

1837(天保8)年、山尾家の子として吉敷郡二島(よしきぐんふたじま)(現在の山口市)で生まれました。1863(文久(ぶんきゅう)3)年にいわゆる「長州(ちょうしゅう)ファイブ」の1人としてイギリスに密航留学(みっこうりゅうがく)し、グラスゴーで造船(ぞうせん)を学び、1870(明治3)年に帰国しました。
政府(せいふ)に登用されると新しい時代の産業(さんぎょう)(さか)んにするため「工部省(こうぶしょう)」を(もう)けることを主張(しゅちょう)し、実現(じつげん)させます。技術者(ぎじゅつしゃ)を育てる学校をつくることも強く主張し、「工部省工学寮(こうがくりょう)(現 東京大学工学部)」を創設(そうせつ)させます。さらに技術を学ぶには感性(かんせい)(みが)必要(ひつよう)もあると考え、「工部美術学校(現 東京芸術(げいじゅつ)大学)」を設立(せつりつ)。やがて国の工業部門のトップである工部卿(こうぶきょう)となりました。イギリスで見ることや聞くことが不自由な人が造船技術者として活躍(かつやく)していたことに感動し、そうした人たちの教育にも力を()くしました。そして(まん)80(さい)()くなるまで日本工学会長を(つと)め、工業に(かか)わる人を育て(つづ)けました。

山尾庸三クイズ

問題1

新政府で「工部省工学寮」を創設、亡くなるまで工業に関わる人を育て続けた山尾庸三は何と呼ばれましたか?
A
工業の父
B
科学の父
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参考資料

  • きらり山口人物伝 Vol.2(夢チャレンジ出版事業刊行委員会 製作)山口県ひとづくり財団
  • 奮発震動の象あり 防長教育史の人びと(松野 浩二 著)大村印刷(株)
  • その後の長州五傑(松野 浩二 著)大村印刷(株)

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