(あい)に生きた作家

宇野 千代

うの ちよ

宇野千代生家(岩国市観光振興課 写真提供)

大正・昭和・平成時代の作家

1897(明治(めいじ)30)年〜1996(平成8)年

 1897(明治30)年、玖珂郡(くがぐん)横山村((げん) 岩国市川西)で生まれました。岩国高等女学校を卒業(そつぎょう)後、代用教員になりますが、恋文(こいぶみ)が問題となって()め、京城(けいじょう)(現 韓国(かんこく) ソウル)へ。帰郷(ききょう)後はいとこを(たよ)って京都、東京へ。雑誌(ざっし)記者などをしていとこを(ささ)えます。いとこと結婚(けっこん)後、北海道へ。1921(大正10)年、懸賞小説(けんしょうしょうせつ)応募(おうぼ)した『脂粉(しふん)の顔』が一等に入選(にゅうせん)翌年(よくねん)、上京し、作家活動に入ります。やがて離婚(りこん)し、作家・尾崎(おざき)士郎(しろう)と結婚。その後、取材(しゅざい)のため(たず)ねた画家・東郷(とうごう)青児(せいじ)()らし始め、尾崎とは離婚。1936(昭和11)年には日本(はつ)女性(じょせい)ファッション誌『スタイル』を創刊(そうかん)。その後、編集(へんしゅう)に参加していた作家(さっか)北原(きたはら)武夫(たけお)と結婚します(1964年に離婚)。

 戦後(せんご)は着物のデザインを手掛(てが)けるとともに、小説を書き(つづ)けます。50(さい)から『おはん』の連載(れんさい)を始めると大反響(だいはんきょう)()び、野間(のま)文芸賞(ぶんげいしょう)や女流文学賞を受賞。85歳から自伝的(じでんてき)エッセイ『生きて行く(わたし)』の新聞連載を始めると、力強い生き方が話題を呼び、その単行本(たんこうぼん)はベストセラーになります。また、故郷(こきょう)を愛し続け、1990(平成2)年には岩国市名誉(めいよ)市民に。同年、文化功労者(こうろうしゃ)として表彰(ひょうしょう)され、6年後、(まん)98歳で生涯(しょうがい)()じました。

宇野千代クイズ

問題1

宇野千代(うのちよ)代表作(だいひょうさく)で、野間文芸賞(のまぶんげいしょう)女流文学賞(じょりゅうぶんがくしょう)受賞(じゅしょう)した作品は何ですか。
A
おはん
B
生きていく(わたし)
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