シカゴ大学第1号の博士号(はくしごう)取得(しゅとく)した英語(えいご)教育の先駆者(せんくしゃ)

浅田 栄次

あさだ えいじ

周南市立中央図書館 提供

明治(めいじ)・大正時代の教育者

1865(慶応(けいおう)元)年〜1914(大正3)年

 1865(慶応元)年、徳山(とくやま)(げん) 周南(しゅうなん)市)に住む徳山(はん)武士(ぶし)の子として、花岡(はなおか)外祖父(がいそふ)の家で生まれました。藩校(はんこう)興譲館(こうじょうかん)」などで学んだ後、英語を学ぶため旧制山口・広島・京都中学校へ。卒業(そつぎょう)後も向学心に()え、親に(だま)って上京。東京英和学校、工部(こうぶ)大学校、第一高等中学校へと進学。帝国(ていこく)大学(だいがく)理科大学在学中(ざいがくちゅう)にキリスト教への信仰(しんこう)を深め、(こころざし)を立てて退学(たいがく)すると親戚(しんせき)や友人の資金(しきん)援助(えんじょ)()て1888(明治21)年にアメリカへ。ノースウエスタン大学ガレット神学校、コロンビア大学大学院、シカゴ大学大学院で旧約聖書(きゅうやくせいしょ)などを研究し、シカゴ大学第1号の博士号を取得します。

 1893(明治26)年に帰国後、青山学院神学部教授(きょうじゅ)などを(つと)め、東京外国語学校が創立(そうりつ)されると英語科主任(しゅにん)教授に。日本における英語教育の発展(はってん)尽力(じんりょく)し、文部省(もんぶしょう)最初(さいしょ)の英語読本の(へん)さんにも当たりました。英語以外(いがい)にもさまざまな語学に通じ、国際共通語(こくさいきょうつうご)エスペラント語の普及(ふきゅう)にも尽力。1914(大正3)年図書室で(たお)れ、(まん)49(さい)()くなりました。

浅田英次クイズ

問題1

日本の英語教育(えいごきょういく)先駆者(せんくしゃ)といわれた浅田英次(あさだえいじ)留学(りゅうがく)した国はどこですか。
A
アメリカ
B
イギリス
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