ボストンマラソン優勝(ゆうしょう)オリンピック出場

浜村 秀雄

はまむら ひでお

昭和・平成時代のマラソンランナー・監督(かんとく)

1928(昭和3)年〜2000(平成12)年

 1928(昭和3)年、秋穂(あいお)村((げん) 山口市)で生まれました。秋穂国民学校高等科(現 山口市立秋穂小学校)を卒業(そつぎょう)後、家業の塩田(えんでん)の仕事に従事(じゅうじ)。1946(昭和21)年、秋穂町民体育大会の1500メートルや山口県体育大会で優勝(ゆうしょう)翌年(よくねん)の全国青年大会4位入賞(にゅうしょう)()本格的(ほんかくてき)に練習を始め、やがてマラソンに転向(てんこう)します。

 1952(昭和27)年、一般参加(いっぱんさんか)挑戦(ちょうせん)した第1回別府(べっぷ)マラソン(現 別府大分(べっぷおおいた)毎日マラソン)で14人のオリンピック候補(こうほ)(おさ)えて優勝して一躍(いちやく)注目を集め、第6回朝日マラソン(現 福岡国際(ふくおかこくさい)マラソン)では2位に。翌年(よくねん)のボストンマラソンでは6位入賞。第7回朝日マラソンでは当時戦後(せんご)国内最高記録(きろく)の2時間27分26秒で優勝。第9回毎日マラソン優勝を()て、翌1955(昭和30)年の第59回ボストンマラソンを大会新記録で優勝し、翌年メルボリンオリンピック出場を果たします。

 1960(昭和35)年に協和発酵工業(きょうわはっこうこうぎょう)陸上競技部(りくじょうきょうぎぶ)監督となり、選手(せんしゅ)引退(いんたい)。その後も丸久(まるきゅう)の陸上競技部監督、ファーストリテイリング(ユニクロ)女子陸上競技部監督として後進を育成。2000(平成12)年、(まん)71(さい)()くなりました。1992(平成4)年創設(そうせつ)浜村杯(はまむらはい)秋穂ロードレース大会」は次代を(にな)うランナーの発掘(はっくつ)・育成を目指し、現在(げんざい)も毎年開催(かいさい)されています。

浜村秀雄クイズ

問題1

浜村秀雄が、14人のオリンピック候補(こうほ)(おさ)えて優勝(ゆうしょう)し、一躍(いちやく)注目を集めたマラソン大会はどこで行われたでしょう。
A
別府
B
山口
完了するには、1質問があります。
戻る
網掛け部分は完了した項目です。
1
戻る

参考資料

関連施設

「山口県の先人たち」に掲載されている個々の文章、写真などは著作権の対象となっています。ご利用にあたっては、著作権法の範囲内でご使用ください。