松陰(しょういん)から信頼され、松陰の妹と結婚(けっこん)

楫取 素彦

かとり もとひこ

楫取能彦氏 提供

幕末(ばくまつ)萩藩士(はぎはんし)明治(めいじ)時代の政治家(せいじか)

1829(文政(ぶんせい)12)年〜1912(大正(たいしょう)元)年

 1829(文政12)年、(はぎ)藩医(はんい)・松島家の次男として生まれました。儒者(じゅしゃ)小田村(おだむら)家の養子(ようし)に入って小田村伊之助(いのすけ)となり、藩校(はんこう)明倫館(めいりんかん)(つと)めを()て、江戸藩邸(えどはんてい)勤めのとき、吉田松陰と親しくなります。帰郷後(ききょうご)、松陰の妹・寿子(ひさこ)と結婚。安政(あんせい)大獄(たいごく)によって江戸送りとなった松陰から「松下村塾(しょうかそんじゅく)」を(たく)されますが、藩主(はんしゅ)の側近に抜擢(ばってき)されて東奔西走(とうほんせいそう)することになり、松下村塾に長く(かか)わることはできませんでした。1867(慶応(けいおう)3)年、藩命(はんめい)によって楫取素彦と改名(かいめい)します。

 1876(明治9)年に群馬(ぐんま)県の初代県令(けんれい)となり、製糸業(せいしぎょう)や教育の振興(しんこう)などに尽力(じんりょく)します。(つま)()くした2年後の1883(明治16)年、その妹・(ふみ)久坂玄瑞(くさかげんずい)未亡人(みぼうじん)美和子(みわこ)改称(かいしょう))と再婚(さいこん)します。
 その後、元老院議官(げんろういんぎかん)、明治天皇(てんのう)皇女(こうじょ)の御養育主任、貴族院議員(きぞくいんぎいん)などを歴任(れきにん)。松下村塾の塾舎(じゅくしゃ)保存にも尽力(じんりょく)し、1912(大正元)年に(まん)83(さい)で亡くなりました。

楫取素彦クイズ

問題1

群馬県の初代県令となった楫取素彦は、※藩命により改名する前、何という名前でしたか。
※藩命:藩主または藩の命令
A
小田村伊之助
B
吉田寅次郎
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