「歩く・見る・聞く」。農山漁村(のうさんぎょそん)の生活の変化(へんか)記録(きろく)

宮本 常一

みやもと つねいち

周防大島文化交流センター 蔵

昭和(しょうわ)時代の民俗(みんぞく)学者

1907(明治(めいじ)40)年〜1981(昭和56)年

1907(明治40)年、大島郡家室西方村(かむろにしがたむら)(現 周防(すおう)大島町)で生まれました。大阪府天王寺師範(てんのうじしはん)学校を卒業(そつぎょう)後、小学校の教員となったころから民俗学への関心(かんしん)を深め、民俗学者・柳田國男(やなぎたくにお)指導(しどう)を受けました。1939(昭和14)年、渋沢敬三(しぶさわけいぞう)主宰(しゅさい)するアチック・ミューゼアム(現 神奈川大学日本常民(じょうみん)文化研究所)の研究員(けんきゅういん)となります。以後、全国の離島(りとう)や農山漁村などを(たず)ね、特に「歩く・見る・聞く」ことを大事にしながら地域(ちいき)の人々と語らい、記録(きろく)し、生活の(うつ)()わりを明らかにしました。
常一は「()らしの中の工夫(くふう)こそが文化」と考え、周防大島では、常一の()()けで生活文化の継承(けいしょう)を目的に、(うしな)われ始めていた民具(みんぐ)が集められ、それらは「久賀(くか)諸職(しょしょく)用具」「周防大島東部の生産用具」として国の重要(じゅうよう)有形民俗文化財(ぶんかざい)に指定されました。また、周防(さる)まわしの復活(ふっかつ)を支えたほか、離島振興法(しんこうほう)成立(せいりつ)に力を()くし、離島でも水道や電気が使えるようになりました。日本観光(かんこう)文化研究所所長、武蔵野美術大学教授(むさしのびじゅつだいがくきょうじゅ)などを務め、(まん)73(さい)()くなりました。

宮本常一クイズ

問題1

宮本常一が小学校教員となったころから関心を深めた学問は何ですか。
A
民俗学
B
経済学
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参考資料

  • 宮本常一が見た日本(佐野 真一 著)筑摩書房

  • 旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三(佐野 真一 著)文芸春秋

  • 旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三(佐野 真一 著)文芸春秋

  • 世間師・宮本常一の仕事(斎藤 卓志 著)春風社

  • きらり山口人物伝 Vol.1 夢チャレンジ(夢チャレンジ出版事業刊行委員会 製作)山口県ひとづくり財団

  • 写真でつづる宮本常一(須藤 功 編)未来社

  • 宮本常一 民俗学の旅(宮本 常一 著)日本図書センター

  • 宮本常一 旅する民族学者(小野寺 優 著)日本図書センター

  • 私の日本地図8 沖縄(宮本 常一 著)未來社

  • 宮本常一とあるいた昭和の日本4中四国①(須藤 功 著)

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