ふるさとに文庫(ぶんこ)を残した総理大臣(そうりだいじん)

寺内 正毅

てらうち まさたけ

山口県文書館 蔵

明治(めいじ)大正(たいしょう)時代の軍人・政治家(せいじか)

1852(嘉永(かえい)5)年〜1919(大正8)年

 1852(嘉永5)年、吉敷郡(よしきぐん)平川村(現 山口市)で生まれ、宮野村(現 山口市)の寺内家の養子(ようし)となりました。明治維新(いしん)後、フランス(しき)軍事教育を受け、1877(明治10)年、西南戦争(せいなんせんそう)には大尉(たいい)として出征(しゅっせい)して負傷(ふしょう)し、右(うで)不自由(ふじゆう)となりました。1882(明治15)年、フランスへ。帰国後、陸軍(りくぐん)大臣官房副長(かんぼうふくちょう)、陸軍士官(しかん)学校校長となりました。
 1902(明治35)年、第1次桂内閣(かつらないかく)で陸軍大臣となり、第1次西園寺(さいおんじ)内閣、第2次桂内閣でも陸軍大臣を(つと)めました。1916(大正5)年、内閣総理大臣となり、ロシア革命(かくめい)など、世界情勢(じょうせい)(はげ)しく動く中、イギリスなどの連合国側(れんごうこくがわ)要請(ようせい)でシベリア出兵(しゅっぺい)を行います。しかし出兵は長引き、非難(ひなん)が高まります。国内では米の価格(かかく)高騰(こうとう)して米騒動(こめそうどう)が起き、責任(せきにん)をとって総理大臣を辞任(じにん)翌年(よくとし)(まん)67(さい)()くなりました。
 なお、山口県立大学附属(ふぞく)図書館の「桜圃寺内文庫(おうほてらうちぶんこ)」は、研究したい人への公開も考えて正毅が集めた書物が基礎(きそ)となっており、中国に(かん)する書物など約2万点を収蔵(しゅうぞう)しています。

寺内正毅クイズ

問題1

内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)(つと)めた寺内正毅が、研究したい人への公開も考えて収集した書物を収蔵(しゅうぞう)しているところは何ですか。
A
文庫(ぶんこ)
B
倉庫(そうこ)
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