梅花学園の創立者

澤山 保羅

さわやま ぽうろ

学校法人 梅花学園 蔵

明治時代のキリスト教牧師・教育者

1852(嘉永5)年〜1887(明治20)年

 1852(嘉永5)年、吉敷毛利家に仕える澤山家の長男として吉敷(現 山口市)に生まれ馬之進と命名されました。吉敷毛利の郷校「憲章館」に学び、幕府との戦争(第2次長州征討。四境戦争)には良城隊の鼓手として出陣します。
 1869(明治2)年、良城隊の司令官だった内海忠勝(兵庫県副知事)を頼って神戸へ行き、アメリカ人グリーン宣教師から英語を学びます。そして1872(明治5)年に渡米。イリノイ州のノースウエスタン大学予科に学びます。病気などに苦しめられますが、キリスト教の教会の信者に支えられ、洗礼を受けてクリスチャンとなり、名を保羅と改めます。
 1876(明治9)年、布教のために帰国。翌年、浪花公会(教会)を設立し、「日本の教会で最初の牧師となった日本人」となります。同じ吉敷出身の成瀬仁蔵に影響を与え、仁蔵らと1878(明治11)年、キリスト教主義教育を建学の精神とする「梅花女学校(現 梅花学園)」を大阪に創立します。その後も布教活動に熱心に取り組みましたが、1887(明治20)年に満34歳で病気のために亡くなりました。

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