首相として通算在職日数2,886日は歴代最長

桂 太郎

かつら たろう

萩博物館 蔵

明治時代の軍人、政治家

1847(弘化4)年〜1913(大正2)年

1847(弘化4)年に萩藩士の家の長男として萩で生まれ、藩校「明倫館」で学びました。明治維新後、1870(明治3)年から3年間ドイツに留学し、その後もヨーロッパへ行
って軍制などを調べ、帰国後は山県有朋を支えて近代的な軍制を推進しました。

日清戦争では第3師団を率いて出征。台湾総督を務めた後、第3次伊藤内閣・第1次大隈内閣・第2次山県内閣・第4次伊藤内閣で陸軍大臣を3年間務め、軍政家から政治家へと成長しました。

1900(明治33)年、台湾協会学校(現 拓殖大学)を創設し、初代校長となります。1901(明治34)年には内閣総理大臣となり、東アジア情勢が緊迫する中、日英同盟を締結し、また、日露戦争を遂行。社会主義・無政府主義運動の弾圧も行いました。一方で人の心をつかむのがうまく、対立する勢力との妥協を通じて難局を切り抜け、また、にっこり笑ってポンと肩をたたくことから「ニコポン宰相」と呼ばれました。内閣総理大臣を3回務め、満65歳で亡くなりました。首相としての通算在職日数2,886日は歴代の中で最長記録です。

「山口県の先人学習コーナー」施設内の参考資料

  • 桂 太郎(千葉功 著)中央公論新社

  • 桂 太郎(小林道彦 著)ミネルヴァ書房

  • 桂 太郎(宇野俊一 著)吉川弘文館

  • 吉田松陰の予言(浜崎惟 著)星雲社

関連施設

「山口県の先人たち」に掲載されている個々の文章、写真などは著作権の対象となっています。ご利用にあたっては、著作権法の範囲内でご使用ください。

« »