山口県の自然保護(しぜんほご)にも力を()くした画家

高島 北海

たかしま ほっかい

下関市立美術館 蔵

明治(めいじ)大正(たいしょう)時代の画家、自然科学者

1850(嘉永(かえい)3)年−1931(昭和6)年

 1850(嘉永3)年、萩藩医(はぎはんい)の子として萩で生まれ、絵を独学(どくがく)で学びました。明治維新(いしん)後、新政府(せいふ)工部省(こうぶしょう)に入り、兵庫(ひょうご)県の生野鉱山(いくのこうざん)赴任(ふにん)すると、外国人からフランス語や地質(ちしつ)学、植物学などを学び、日本初の地質図となった山口県の地質図を作ります。その後、内務省(ないむしょう)農商務省(のうしょうむしょう)に移り、日本各地の地質や山林を調べました。

 やがてフランスのナンシー森林高等学校に留学(りゅうがく)し、植物学を学びます。そこで、後に美術(びじゅつ)運動「アールヌーヴォー」の担い手の一人となるエミール・ガレらナンシーの美術家たちと交流し、多くの日本画を制作しました。40代後半から画業に専念(せんねん)し、50代で上京すると日本画壇(にほんがだん)重鎮(じゅうちん)として活躍(かつやく)しました。

 晩年(ばんねん)、自身が名付けた山口市・萩市の長門峡(ちょうもんきょう)や、長門(ながと)市の青海島(おおみじま)、下関市豊田町の石柱渓(せきちゅうけい)などの景勝地(けいしょうち)紹介(しょうかい)や、その遊歩道(ゆうほどう)建設(けんせつ)、自然保護にも力を尽くし、(まん)80(さい)()くなりました。

高島北海クイズ

問題1

高島北海は日本初の地質図を作りましたが、それは何県の地質図ですか。
A
山口県
B
兵庫県
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1
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参考資料

  • きらり山口人物伝 Vol.4(夢チャレンジ出版事業刊行委員会 製作)山口県ひとづくり財団
  • 高島北海 HOKKAI 萩とナンシー(高樹 のぶ子 著)萩ものがたり

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