女性参政権(さんせいけん)獲得(かくとく)と女性弁護士(べんごし)への道を(ひら)いた

高橋 千代

たかはし ちよ

(公財)市川房枝記念会女性と政治センター 蔵

明治(めいじ)・大正・昭和(しょうわ)時代の社会運動家

1890(明治23)年〜1969(昭和44)年

 1890(明治23)年、三井(みい)村((げん) 光市)の山本家の長女として生まれました。徳基(とっき)高等女学校(現 県立厚狭(あさ)高校)の4年生のとき、周防(すおう)村(現 光市)出身の教育者・高橋(たかはし)幾造(いくぞう)結婚(けっこん)。中国の大学に赴任(ふにん)する(おっと)と中国へ(わた)ります。1908(明治41)年に帰国。東京で夫が弁護士(べんごし)を開業すると、千代は女性も法律(ほうりつ)知識(ちしき)必要(ひつよう)と考えるようになります。病弱な夫を(ささ)え、職業婦人(しょくぎょうふじん)として(はたら)き、良き(つま)、良き母として、女子法学院(ほうがくいん)設立(せつりつ)に向けて奔走(ほんそう)し、1928(昭和3)年、夫と(とも)に東京女子法学院を設立。5年後、弁護士法が改正(かいせい)され、女性も弁護士試験(しけん)を受けられるようになりました。
 また、日本では当時、女性が国政(こくせい)に参加する権利がなく、その権利の獲得に向けて市川(いちかわ)房枝(ふさえ)らが活動していたころ、千代は理事を務める「婦人参政同盟(どうめい)」を結成(けっせい)し、()(あお)ぐ市川らと共同活動をしました。1945(昭和20)年、女性の参政権が実現(じつげん)します。千代はその後も女性の地位(ちい)向上に尽力(じんりょく)し、1969(昭和44)年、(まん)78(さい)()くなりました。

高橋千代クイズ

問題1

高橋千代が女性参政権獲得に向けて結成した団体名は何ですか。
A
婦人参政同盟
B
女性参政同盟
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