近代軍制の改革者

大村 益次郎

おおむら ますじろう

山口県文書館 蔵

幕末(ばくまつ)維新期(いしんき)の医師、兵学者(へいがくしゃ)

1825(文政(ぶんせい)8)年−1869(明治(めいじ)2)年

 1825(文政8)年、鋳銭司(すぜんじ)村(現 山口市)に生まれました。父は医師の村田孝益(むらたこうえき)
 大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)適塾(てきじゅく)などで蘭学(らんがく)を学んだ後、鋳銭司に帰って医師となります。
しかし、蘭学の知識(ちしき)を買われて宇和島藩(うわじまはん)(つか)えることになり、その後、長崎で軍艦(ぐんかん)製造法(せいぞうほう)を学びます。
 宇和島藩主に(したが)って江戸(えど)へ行き、私塾「鳩居堂(きゅうきょどう)」を開き、幕府(ばくふ)講武所(こうぶしょ)でも教えるようになると、評判(ひょうばん)が江戸の(はぎ)藩士に伝わり、萩藩に仕えることになります。
 萩(山口)藩では、軍事改革の総責任者(そうせきにんしゃ)抜擢(ばってき)され、禄高(ろくだか)100(こく)を与えられます。幕府との戦争(せんそう)(第2次長州征討(ちょうしゅうせいとう))では、石州口(せきしゅうぐち)の戦いを指揮(しき)し、藩を勝利へ(みちび)きました。
 維新後は、兵部省(ひょうぶしょう)の設置と同時に兵部大輔(たいふ)となり、兵制改革(へいせいかいかく)を進めますが、京都で反対派から(おそ)われ、(まん)45(さい)()くなりました。

大村益次郎クイズ

問題1

大村益次郎が大坂の緒方洪庵の適塾などで 学んだ学問は何ですか?
A
蘭学
B
国学
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参考資料

  • 大村益次郎伝(木村 紀八郎 著)鳥影社
  • 大村益次郎写真集(内田伸 編)マツノ書店

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