生徒へ、国内外へ、化石(かせき)宝庫(ほうこ) 美祢(みね)発信(はっしん)

岡藤 五郎

おかふじ ごろう

美祢市教育委員会 提供

昭和(しょうわ)時代の教育者、化石の研究者

1924(大正(たいしょう)13)年〜1978(昭和53)年

 1924(大正13)年、美祢市に生まれました。教師(きょうし)となり、1952(昭和27)年、山口県立大嶺(おおみね)高校に赴任(ふにん)します。美祢は石灰岩(せっかいがん)からなる「秋吉台カルスト」と国内最大の無煙炭産地(むえんたんさんち)「大嶺炭田」という2つの独特(どくとく)地層(ちそう)を持つ化石の宝庫です。生徒たちに教えながら(とも)に化石を採集(さいしゅう)し、学校内には化石展示室(てんじしつ)(もう)けました。
 秋吉台で採集・研究した化石は、ヤベオオツノジカなど、ほ乳類(にゅうるい)を中心に、約10万点におよびます。その中には、化石の名に、発見者である先生の名前を付けた日本最古の昆虫(こんちゅう)化石「オカフジムカシゴキブリ」など、貴重(きちょう)な化石もあります。
 学校内だけでなく、地元の採集者や国内外の学者とも交流を重ね、学術研究(がくじゅつけんきゅう)発展(はってん)に力を()くしました。しかし、1978(昭和53)年、石灰岩の採掘場(さいくつじょう)で化石の採集中、心不全(しんふぜん)を起こし、(まん)53(さい)()くなりました。

岡藤五郎クイズ

問題1

教育者・化石の研究者である岡藤五郎が、秋吉台で採集・研究した化石の数はどのくらいですか?
A
約10万点
B
約1万点
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参考資料

  • きらり山口人物伝 Vol.5(夢チャレンジ出版事業刊行委員会 製作)山口県ひとづくり財団

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