高杉晋作(たかすぎしんさく)志士(しし)(ささ)えた下関の勤王(きんのう)商人

白石 正一郎

しらいし しょういちろう

海に面して建っていた白石家の浜門
下関市立長府博物館 蔵

幕末(ばくまつ)の商人

1812(文化9)年〜1880(明治13)年

 1812(文化9)年、清末藩領(きよすえはんりょう)竹崎浦(たけざきうら)(現 下関市竹崎町)で「小倉屋(こくらや)」と(しょう)して荷受問屋(にうけどんや)(いとな)んだ白石家の長男として生まれました。国学(こくがく)への関心が深く、白石家の当主となると、そのネットワークを生かして次々と新規事業を起こします。その一方で、薩摩(さつま)長州(ちょうしゅう)をはじめ尊王(そんのう)攘夷(じょうい)運動にいそしむ志士たちと交流し、彼らの活動を物心両面(ぶっしんりょうめん)から支えました。

 1863(文久(ぶんきゅう))3年には、高杉晋作が白石(てい)で「奇兵隊(きへいたい)」を結成(けっせい)すると、弟の廉作(れんさく)(とも)に入隊し、自らも尊王・攘夷運動に身を投じます。しかし、その年、正一郎の右腕(みぎうで)として(はたら)いていた弟の廉作を失い、家業も不振(ふしん)におちいると、志士らをまつる下関の桜山招魂場(さくらやましょうこんじょう)への奉仕(ほうし)に身を(ささ)げるようになります。

 明治維新(いしん)後は赤間宮(現 赤間神宮)の宮司(ぐうじ)となり、1880(明治13)年に(まん)68(さい)()くなりました。

白石正一郎クイズ

問題1

高杉晋作ら、幕末の志士を物心両面から支えた白石正一郎の職業は何ですか。
A
商人
B
武士
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参考資料

  • 長州にとって竜馬は恩人だった・・・。竜馬と長州 坂本竜馬と長州藩士たち。(月刊タウン情報YAMAGUCHI編集部)株式会社ザメディアジョン

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