日本のスキーの先駆者(せんくしゃ)、日本の民間航空(みんかんこうくう)の父

長岡 外史

ながおか がいし

下松市 提供

明治(めいじ)大正(たいしょう)・昭和時代の軍人

1856 (安政(あんせい)3)年−1933(昭和8)年

1856(安政3)年、末武(すえたけ)村(現 下松(くだまつ)市)で生まれました。明治維新(いしん)後、陸軍士官(りくぐんしかん)学校、陸軍大学校を卒業(そつぎょう)大本営参謀(だいほんえいさんぼう)次長、陸軍中将(ちゅうじょう)、第13師団長(しだんちょう)、第16師団長などを(つと)めました。新潟(にいがた)県高田の第13師団長のときには、オーストリアの軍人レルヒからスキーを学び、子どもたちや女性など、民間にも広め、日本のスキーの先駆者(せんくしゃ)となりました。
また、日本初の航空研究機関(きかん)の会長も務めました。当時、飛行機は軍事用に導入(どうにゅう)されたものでしたが、外史は人々の生活にも役立つようになると考えました。そこで1924(大正13)年、衆議院(しゅうぎいん)議員に当選(とうせん)すると、国内航空路の開設(かいせつ)や羽田への国際(こくさい)空港の建設(けんせつ)などを提案(ていあん)。航空の発展(はってん)に力を()くし、日本の民間航空の父となり、(まん)77(さい)()くなりました。世界一の長さ68.8cmを(ほこ)った「プロピラひげ」も有名でした。

長岡外史クイズ

問題1

長岡外史がオーストリアの軍人から学び、日本に広めたスポーツは何ですか?
A
スキー
B
スケート
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参考資料

  • きらり山口人物伝 Vol.1 夢チャレンジ(夢チャレンジ出版事業刊行委員会 製作)山口県ひとづくり財団

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