マルハニチロの創立者(そうりつしゃ)

中部 幾次郎

なかべ いくじろう

マルハニチロ株式会社 蔵

明治(めいじ)・大正・昭和時代の実業家・政治家(せいじか)

1866(慶応(けいおう)2)年〜1946(昭和21)年

 1866(慶応2)年、播磨(はりま)明石(あかし)東魚町((げん) 兵庫(ひょうご)県明石市)で「林兼(はやしかね)」という屋号で鮮魚仲買運搬業(せんぎょなかがいうんぱんぎょう)(いとな)む中部家の子として生まれました。当時、鮮魚の運搬は帆船(はんせん)がほとんどだった中、幾次郎は蒸気船(じょうきせん)を使った運搬を始めて成功(せいこう)します。1905(明治38)年には日本(はつ)の発動機付き鮮魚運搬船を建造(けんぞう)し、その後、活魚の買付(かいつけ)韓海漁場(かんかいぎょじょう)にも広げます。
 1924(大正13)年には「株式会社(かぶしきがいしゃ)林兼商店(しょうてん)(後の大洋漁業。現 マルハニチロ株式会社)」を設立(せつりつ)翌年(よくとし)拠点(きょてん)下関(しものせき)(うつ)します。1936(昭和11)年、日本初の国際捕鯨(こくさいほげい)母船を(つく)り、南氷洋(なんぴょうよう)捕鯨を始めます。水産業(すいさんぎょう)関連業種(かんれんぎょうしゅ)を全て同系列(どうけいれつ)()いて運営(うんえい)することを経営方針(けいえいほうしん)として造船から水産物の保存冷蔵(ほぞんれいぞう)工場まで運営。新しいことを先取りして日本の水産界(すいさんかい)発展(はってん)貢献(こうけん)しました。
 また、下関商工会議所(かいぎしょ)会頭を長年(つと)めたほか、1946(昭和21)年には貴族院議員(きぞくいんぎいん)となりましたが、その年、(まん)81(さい)()くなりました。

中部幾次郎クイズ

問題1

「株式会社林兼商店」を設立した中部幾次郎が1925年に拠点を移したのはどこですか。
A
下関
B
北九州
完了するには、1質問があります。
戻る
網掛け部分は完了した項目です。
1
戻る

参考資料

関連施設

「山口県の先人たち」に掲載されている個々の文章、写真などは著作権の対象となっています。ご利用にあたっては、著作権法の範囲内でご使用ください。