シベリヤを(えが)(つづ)けた画家

香月 泰男

かづき やすお

香月泰男美術館 蔵

昭和時代の洋画家

1911(明治(めいじ)44)年〜1974(昭和49)年

 1911(明治44)年、三隅町(みすみちょう)(げん) 長門(ながと)市)で代々続く医師(いし)の家に生まれました。複雑(ふくざつ)な家庭環境(かんきょう)の中、絵を描くことが(すく)いとなり、絵描(えか)きになろうと決心します。東京美術(びじゅつ)学校(現 東京藝術(げいじゅつ)大学)に入学し、洋画家・藤島(ふじしま)武二(たけじ)師事(しじ)卒業(そつぎょう)後、美術教師となり、北海道での勤務(きんむ)()て、下関(しものせき)高等女学校へ転勤。結婚(けっこん)し、子どもにも(めぐ)まれます。1939(昭和14)年には文部省(もんぶしょう)美術展覧会(びじゅつてんらんかい)に出した作品が特選(とくせん)となり、画壇(がだん)華々(はなばな)しくデビューします。

 1943(昭和18)年32(さい)のとき、軍隊(ぐんたい)召集(しょうしゅう)されます。終戦(しゅうせん)後はソ(れん)(現 ロシア)によってシベリヤに抑留(よくりゅう)され、酷寒(こっかん)の中、過酷(かこく)労働(ろうどう)()えで仲間(なかま)が次々と死去。(かれ)らの死に顔を香月はスケッチし、いつか遺族(いぞく)(わた)そうと考えますが、ソ連兵にスケッチを没収(ぼっしゅう)されます。1947(昭和22)年、香月はようやく帰国を()たします。

 帰郷(ききょう)後は深川(ふかがわ)高等女学校に勤務。やがて(わす)れることができないシベリヤでの日々を描き出す「シベリヤ・シリーズ」に取り組み、苦心の(すえ)、炭を使った独特(どくとく)技法(ぎほう)確立(かくりつ)します。1960(昭和35)年に教師を退職(たいしょく)し、画業に専念(せんねん)。「シベリヤ・シリーズ」は第一回日本芸術大賞を受賞し、一躍(いちやく)注目を集めます。その後もふるさと三隅を「<私の>地球」と呼び、三隅を拠点(きょてん)に描き続け、1974(昭和49)年にこの世を去りました。(まん)62歳でした。

香月泰男クイズ

問題1

香月泰男(かづきやすお)第二次世界大戦後(だいにじせかいたいせんご)抑留(よくりゅう)された体験(たいけん)をもとに()きあげた一連(いちれん)作品(さくひん)を何と言いますか。
A
シベリヤ・シリーズ
B
アラスカ・シリーズ
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