大久保利通(おおくぼとしみち)西郷隆盛(さいごうたかもり)(なら)ぶ「維新三傑(いしんさんけつ)

木戸 孝允

きど たかよし

山口県立山口博物館 蔵

幕末(ばくまつ)萩藩士(はぎはんし)明治(めいじ)時代の政治家(せいじか)

1833(天保(てんぽう)4)年−1877(明治10)年

 1833(天保4)年、萩藩医(はぎはんい)和田昌景(わだまさかげ)の次男として萩で生まれ、萩藩士桂家(かつらけ)養子(ようし)となって家督(かとく)()ぎ、通称(つうしょう)桂小五郎(かつらこごろう)と名乗りました。吉田松陰(よしだしょういん)山鹿流兵学(やまがりゅうへいがく)の門人となった後、江戸(えど)へ。海防(かいぼう)への関心(かんしん)を深め、尊王攘夷(そんのうじょうい)運動の指導者(しどうしゃ)となる一方、勝海舟(かつかいしゅう)らとも親しくなります。

 1863(文久3)年8月18日の政変(せいへん)で萩藩が京都から追放され、翌年(よくねん)、藩が再起(さいき)(はか)った「禁門(きんもん)(へん)」で敗退(はいたい)すると一時潜伏(せんぷく)しますが、帰藩して藩政の中枢(ちゅうすう)参画(さんかく)幕府(ばくふ)による第2次長州征討(ちょうしゅうせいばつ)(せま)る中、坂本龍馬(さかもとりょうま)斡旋(あっせん)薩長盟約(さっちょうめいやく)締結(ていけつ)するなど、倒幕(とうばく)への動きの中で大きな役割(やくわり)()たします。

 維新後、新政府(しんせいふ)の中心となり、版籍奉還(はんせきほうかん)廃藩置県(はいはんちけん)断行(だんこう)欧米視察(おうべいしさつ)後、内治優先(ないちゆうせん)主張(しゅちょう)し、征韓論(せいかんろん)に反対。西南戦争(せいなんせんそう)最中(さいちゅう)、京都で病のため(まん)43(さい)()くなりました。

木戸孝允クイズ

問題1

木戸孝允が萩藩士桂家の養子となって※家督を継いだときに名乗った名前は何ですか? ※家督:家の財産等
A
桂小五郎
B
桂太郎
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参考資料

  • 木戸孝允 「勤王の志士」の本音と建前  日本史リブレット人 070(一坂太郎 著)山川出版社
  • 木戸孝允  幕末維新の個性 8(松尾正人 著)吉川弘文館
  • 桂小五郎 奔れ!憂い顔の剣士  時代を動かした人々 維新篇 7(古川薫 著 岡田嘉夫 画)小峰書店
  • 幕末維新の個性8 木戸孝允(松尾正人 著)吉川弘文館
  • 日本史リブレット070 木戸孝允 「勤王の志士」の本音と建前(一坂太郎 著)山川出版社
  • 長州にとって竜馬は恩人だった・・・。竜馬と長州 坂本竜馬と長州藩士たち。(月刊タウン情報YAMAGUCHI編集部)株式会社ザメディアジョン
  • 九州長州文化図録撰書弟八号 長州維新の道 上巻 赤間関街道中道筋攘夷戦争と長州藩の足跡(遠藤順子 発行  遠藤薫 編)図書出版のぶ工房

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